こんにちは、たかパパです。
いよいよ第100回夏の甲子園が開幕します。
今大会では大阪桐蔭の根尾君や藤原君、
花咲徳栄の野村君、金足農業の吉田君、
報徳学園の小園君などスター性や
将来性が楽しみな選手が多いですね。
今回ご紹介するのは甲子園で輝いた
歴代のジェレンド球児をランキング形式で
ご紹介したいと思います。
※あくまで筆者の独断と偏見によるものです。
単純に活躍した選手をご紹介するというよりも、
印象に残った選手を中心にご紹介しますので、
その点はご理解願います。
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目次
第10位 元木大介(上宮高校⇒巨人)
最初にご紹介するのは上宮高校出身
元木大介です。現在は46歳です。
現在はバラエティ番組で活躍していますが、
当時の甲子園ではアイドル的人気でした。
注目を浴びたのが、1989年夏の甲子園
では1試合に2本の本塁打を打ちます。
その端正なマスクからメディアでも
大きく取り上げられ大人気となり、
3年の大阪大会や甲子園には数多くの
女性ファンがかけつけました。
高校通算6本塁打(春4本夏2本)です。
これは清原和博の通算13本塁打に次ぐ
第2タイの記録です。
(桑田真澄と中村奨成も6本塁打タイ)
また、1989年の夏の甲子園3回戦の
八幡商で内野フライを放ち、1塁へ
走るのをやめ、そのフライを内野手が
落球。
当然元木は1塁でアウトとなり、ベンチに
戻ってきたところを山上監督に怒鳴られる
シーンが全国に中継されました。
これも元木らしさと言えば元木らしさでした。
このおかげで、どんな凡フライでも何が
起こるかわかないから、一生懸命に
走らなければならないことを反面教師
として少年たちに教えることとなった
エピソードでもありますね。
ここからが彼を語る上で重要な展開にも
なってきます。
甲子園で活躍すれば当然プロ野球へ
ドラフト1位で入団することが夢ですよね。
実は1989年のドラフト会議では本人は
巨人入りを希望しますが残念ながら1位指名
されませんでした。
(巨人は慶応大学のスター選手大森剛を
1位指名)
そして福岡ダイエーホークスが野茂英雄の
外れ1位で元木を指名しますが、元木は
入団を断固拒否しました。
そこで元木は異例中の異例でハワイに野球
留学をします。
その翌年には巨人にドラフト1位で入団する
ことができました。
入団後はホームランバッターとして周囲は
期待していましたが、当初はまったくプロの
ボールにはついていけませんでした。
1年目のオープン戦では相手投手の大きく
曲がるカーブをしゃがんでしまいますが
ストライク判定。
これには元木も苦笑いするしかありません。
そこで彼がみつけた居場所は、内野のどこでも
守れるユーティリティープレイヤーです。
そして意外性の男としてセンスのある
打撃で人気選手となり、のちに西武から
移籍する清原和博とは師弟関係として
じゃれあう姿でファンを楽しませてくれました。
2000年には当時日本テレビの人気アナ
大神いずみと結婚。
33歳の若さで引退し、引退後はテレビの
スポーツコーナーのレギュラーを持ったり
バラエティ番組で活躍します。
ラーメン屋を東京広尾などにオープン
させますが、経営に失敗して閉店もしてます。
引退後はタレント活動としての活躍が
多かった元木さんですが、実は今年8月に
アメリカで開催されるカル・リプケン
12歳以下(U12)世界少年野球大会の
日本代表監督に就任しています。
上宮高校で鍛えられた野球魂を少年たちに
是非伝えて欲しいですね。
第9位 清宮幸太郎(早稲田実⇒日ハム)
次にご紹介するのは清宮幸太郎です。
皆さんご存知、現在日本ハムに入団し
現在2軍で活躍しています。
彼が注目を浴びることになったのは
小学校の時からでした。
東京都江東区にある名門東京北砂リーグで
世界選手権で活躍し、アメリカのメディアでは
和製ベーブルースと称されるほどでした。
その後中学校進学後は調布シニアで全国制覇を
経験。
早稲田実業入学時には既にスーパー1年生
として注目されていました。
その周囲の期待にも動じず、1年生では
主軸として3番一塁手として出場します。
夏の甲子園では本塁打を2本記録するなどの
大活躍で、19打数9安打2本塁打という
素晴らしい成績をおさめます。
2年生の夏は都大会の準々決勝で破れ、
3年生の新チームから主将に就任します。
春の選抜では2回戦で敗れてしまい、
本塁打の記録はありません。また夏も
決勝で東海大菅生に敗れ甲子園出場を
逃しています。
高校公式戦通算は
70試合出場247打数100安打、打率.405、
29本塁打、95打点。
また練習試合を含めれば高校通算歴代トップ
となる111本塁打を記録しています。
1年生の活躍が強烈過ぎてもっと出場して
いる印象がありますが、実は甲子園には
2回しか出場できていません。
(本塁打を記録したのも1年生の夏のみ)
日本ハム入団後は、怪我や病気などもあり
1軍で成績は残せていませんが、今は
チームがじっくり育成している姿勢が
うかがえます。
2軍でホームランを量産していますし、
近いうちに1軍であの綺麗な弾道の本塁打を
何本も見ることができそうですね。
プロの世界でも早く清宮フィーバーを見たい
ところですね。
第8位 中村奨成(広陵⇒広島カープ)
次にご紹介するのは昨年の夏の甲子園の
活躍が今でも印象に残っている方が
多いでしょう。
現在広島カープに入団した中村奨成です。
中村君は広陵高校1年で既に背番号20を
つけ正捕手として活躍していました。
そして誰もが強烈な印象を残した昨年の夏。
その線の細さから、どこからそんな
パワーが出てくるのか不思議でした。
その夏の甲子園で残した大会記録は、
1大会個人最多本塁打6 大会新(それまでは1985年清原・PL学園の5本)
1大会個人最多打点17 大会新(それまでは2008年萩原・大阪桐蔭の15)
1大会個人最多塁打43 大会新(それまでは2009年河合・中京大中京の28)
1大会個人最多安打19 タイ記録(1986年水口・松山商)
1大会個人最多二塁打6 タイ記録(2015年杉崎・東海大相模)
1大会猛打賞5回 大会新(それまでは1985年佐藤・宇部商 2008年浅村・大阪桐蔭の4度)
とんでもない成績です。
特に清原和博が持つ1大会での5本は
しばらくは破られることのない記録と
言われていましたが更新した際には、
甲子園ファンの間ではものすごい
盛り上がりとなりました。
また打撃面のみならず、その肩の強さ
にも驚かせられました。
惜しくもその夏の広陵高校は初の深紅の
優勝旗を手に入れることは出来ません
でしたが、間違いなく中村奨成の
大会となりました。
筆者もリアルタイムで試合を観ましたが、
漫画の主人公のような活躍ぶりでしたね。
現在は広島カープの2軍でじっくり
育成されています。
あの大舞台であれだけの記録を残した選手です。
必ずや1軍で活躍してくれる日が訪れる
ことでしょう。
第7位 中田翔(大阪桐蔭⇒日ハム)
次にご紹介するのは現在の日本ハムの
不動の4番、また全日本でも主軸を
任せられている中田翔です。
彼もまた甲子園で大活躍した選手の一人です。
中田翔は中学校時代に所属していたシニア
(広島鯉城リトルシニアリーグ)でも
その人並みはずれたパワーで有名でした。
シニアの県大会では170m弾との噂もある
本塁打を打ったこともあります。
そんな活躍もあり、大阪の大阪桐蔭に
進学します。
中田は1年生の夏からはチームの5番
打者となりました。
この夏の甲子園のメンバーには、3年の
エース辻内崇伸、4番には現在中日で
活躍する平田良介がいましたが、
彼らに負けないインパクトを残したのが
1年生の中田翔です。
この夏の大会は20打数8安打、1本塁打
5打点の成績を残しました。
(うち1本塁打は決勝打)
これが後の平成の怪物と称される
甲子園での中田翔の始まります。
新2年生チームではエースで4番となります。
プロで活躍する強打者は高校時代に
エースだったことが多いのですが中田翔も
そのひとりです。
2年春には最高球速151キロも記録しています。
その後は肩の故障もあり投手としての
登板は少なくなりますが、逆に打者に
専念できたことにより打撃の素質が
開花しました。
大阪大会では4試合連続ホームランを打つ
などで甲子園出場に貢献し、その出場した
甲子園では140m弾を披露しています。
残念ながら3年生の夏は決勝戦で惜しくも
破れ、甲子園での活躍を見ることが
できませんでしたが、高校通算本塁打は
87本です。
その後は、日本ハムからドラフト1位の
指名を受け、現在の活躍に至ります。
甲子園での活躍そのままにプロ野球でも
活躍する選手のひとりです。
第6位 斎藤佑樹(早稲田実⇒日ハム)
次にご紹介するのは斉藤祐樹です。
ご存知ハンカチ王子で世間を一世風靡しました。
斉藤祐樹は群馬県太田市出身で、中学でも
軟式野球をしていました。
進学は「野球も勉強もトップレベルの高校で
文武両道を目指す」との信念から東京の
早稲田実業に進学します。
1年生からベンチ入りしますが、実力を
発揮しはじめたのは2年生からです。
2年生でエース背番号1を託されますが、
夏の西東京大会では、準決勝で3本の
本塁打を浴びてコールド負け。
秋の都大会から新チームの副キャプテン
となります。11月の神宮野球大会では
後に激闘を繰り広げる田中将大の
駒大苫小牧と初対戦し負けています。
その後3年生の春の選抜に出場し、
ハンカチ王子として騒がれた3年の
夏がきます。
今でも語り継がれる駒大苫小牧との
決勝戦。田中将大との投げあいは
見ものでした。
決勝戦では、田中将大との投手戦になり
延長15回でも決着がつかず、引き分け
再試合となりました。
翌日の再試合でも斎藤は自ら先発を
志願し4連投。そして最後はライバル田中を
三振に打ち取って早稲田実業を初の
夏の甲子園大会優勝に導きました。
斉藤祐樹のこの夏の甲子園での成績は、
69回を投げて78奪三振。防御率1.17。
6勝0敗です。
これはとんでもない脅威の成績ですね。
あと触れておかなければならない現象もあります。
ハンカチです。
早稲田実業が勝ち進むにつれて、斎藤の
ルックスと試合中にマウンド上でハンカチで
顔の汗を拭く姿が話題となりハンカチ王子と
呼ばれるようになりました。
面白い現象として、オークションでは
定価400円の同じ種類のハンカチに対し、
一時的に1万円を超える値がついたほどです。
高校卒業後は早稲田大学に進学し、東京
六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪
三振を記録するなど大活躍をしました。
その後、日本ハムにドラフト1位で入団
しますが甲子園での衝撃を考えると
結果は残せていないのが現状です。
現在8年目の30歳になりました。
今の状態では最悪なシナリオも考えなければ
なりませんね。
そうならないためにも早く復活して欲しい
ものですね。
第5位 田中将大(駒大苫小牧⇒楽天⇒NYY)
次にご紹介するのは現在メジャーリーグ
ニューヨークヤンキースで活躍する
駒大苫小牧の田中将大です。
田中は、兵庫県伊丹市出身で、地元の軟式
少年野球チームで野球を始め、4番・捕手
として現在巨人で活躍する坂本勇人と
バッテリーを組んでいました。
その後、地元のボーイズリーグ宝塚ボーイズに
所属し、強肩をかわれて投手になりました。
高校は北海道にある駒大苫小牧に進学します。
1年生の時は現在の大投手からは想像が
できないですが、捕手として試合に出場
することが多く、2年春から完全に投手に
転向します。
背番号11を背負った実質的なチームの
エースとなり、夏の甲子園では25回2/3を
投げ最速150キロのストレートなどで
優勝投手となりました。(2連覇)
そしてあの斉藤祐樹との投げあいにつながる
3年生の夏の甲子園です。
実は田中は大会前から体調を崩してまともに
投げられる状態ではありませんでした。
そんな中、決勝戦(再試合となる前の第1戦)
では3回から登板し、15回まで1失点に
抑える快投をします。残念ながら決勝戦再試合では、
1回からリリーフ登板し3失点に抑えながらも
惜しくも負けてしまいましたが、その投球には
国民誰もが感動を受けました。
甲子園通算成績は、驚異の7勝0敗です。
(決勝戦再試合はリリーフ登板で負けはついていません。)
約91回を投げ奪三振は102個です。
毎回三振をとっている計算ですね。
甲子園での活躍は、2年生でのエース格としての優勝投手、
それに3年生の斉藤祐樹との投げあいもあり
甲子園球史に残る投手となりました。
その後の活躍はあえて書く必要はないと思いますが、
楽天にドラフト1位で入団。
その活躍は書ききれませんが2013年のシーズン
24勝無敗はプロ野球の伝説となっています。
日本では99勝。
そして現在はメジャーリーグ ニューヨーク
ヤンキースでローテーション投手として
大活躍。既に60勝以上の勝ち星を残しています。
甲子園での活躍そのままに30歳となった
今でもメジャーのエース級として活躍して
いるのは甲子園ファンとしても嬉しいですね。
第4位 ダルビッシュ有(東北⇒日ハム⇒MLB)
次にご紹介するのは東北高校の
ダルビッシュ有です。
ダルビッシュは、中学生の時に所属していた
全羽曳野ボーイズ(大阪)では中学校3年時
に全国大会ベスト8、世界大会3位という
成績を収め、その後東北高校に進学。
1年生秋の新チームからエースとなりました。
甲子園には2年春夏、3年春夏と4度出場
しています。
初出場となる2年春の選抜では、女性に
握手を求められた際強く引っ張られて
右棘下筋痛の全治2週間と診断されたという
情報がありますが、当時はそのような報道は
記憶にありませんので真偽は不明です。
もしそうだとすれば不運としかいいようが
ないですね。
残念ながら3回戦で敗れています。
続く2年夏の甲子園のピッチングは、
全国の野球ファンにその能力の高さを
植えつけることになりました。
腰痛がありながらも投球を続け見事
決勝戦に進みました。
東北にはまだ深紅の優勝旗が渡ったことが
ありません。
これは俗に白河の関を越えたことがないと
言われていますね。
後に平成27年に仙台育英高校が決勝まで
進んで騒がれたことがありますが、
当時は初めて白河の関を越えると騒がれました。
ですが常総学院(茨城)相手に決勝で惜しくも
敗れてしまいました。
そして3年生になっても甲子園で輝きは
増すばかり。春の選抜では初戦でノーヒット
ノーランを達成。
(その後は、右肩痛で登板できずチームも敗退)
最後の甲子園となる夏の甲子園では、
2試合連続完封勝利するも3回戦で惜しくも
敗れてしまいました。
甲子園通算成績は、12試合に登板し7勝2敗、
防御率1.47と抜群の安定感でした。
甲子園で7勝するのは素晴らしい成績です。
その後は、日本ハムにドラフト1位で指名
され入団しました。
ルーキーイヤーから活躍し日本では93勝の
成績を残し、メジャーリーグに渡米しました。
そこでも50勝以上あげるなど、球史に残る
好投手であることは間違いありません。
甲子園の時の輝きをまだ変わらずに放ち続け
ていますね。
第3位 松井秀喜(星稜⇒巨人⇒MLB)
次にご紹介するのは星稜高校の
松井秀喜です。
通称ゴジラ。高校通算60本塁打。
松井秀喜と言えば1992年の夏甲子園での
5打席連続敬遠ですね。
この大会では松井が何本の本塁打を打つかで
日本中は相当な期待をされていました。
この5打席連続敬遠は社会問題に発展し
高野連が急遽記者会見を開くほどになりました。
では、このことに焦点を置いてお話します。
1992年8月16日夏の甲子園第2回戦の
明徳義塾高校戦において、明徳義塾が
星稜高校の松井秀喜を5打席連続して
敬遠する作戦を敢行し、松井が一度も
バットを振ることないまま星稜が敗退
した出来事です。
実はこの出来事が松井が球史に残る大打者
だったという証明となります。
松井は最近のテレビの取材でこう答えています。
「悔しくはなかったですね。」
また、当時のVTRを見て何か思うことがあるかの質問にはこう答えています。
「悔しさや怒りの感情を一切出さずに一塁に向かったことは、自分で自分を褒めてあげたいですね。」
確かにそうですね。
球場内は騒然としていますが、松井は表情
ひとつに変えずに一塁に歩いています。
あの時の表情はいい意味で高校生らしさを
感じませんでした。
もう大人の振る舞い方ですね。
あの時の仕草や行動は既に大打者への一歩だったのでしょう。
この試合で星稜は負けました。
話はそれますが、この試合で残念だったのが
もうひとつあります。
明徳義塾高校が校歌斉唱中に「帰れコール」。
敬遠がルールである以上仕方がないのです。
あの校歌のシーンは明徳義塾の生徒が
可哀そうで仕方がありませんでした。
こんなエピソードが生まれるのも松井が
当時から偉大だったからでしょう。
その後の活躍はあえて語る必要はないかと
思います。
球史に残るスーパースターはスーパースターの
まま引退しました。
今年の記念大会では始球式をつとめます。
しかも第1試合が母校の星稜高校。
母校の前で始球式とはどこまで甲子園は
松井を神格化させるのでしょうか。
松井の久々の甲子園での勇姿も期待です。
第2位 松坂大輔(横浜高校⇒西武⇒MLB⇒中日)
次に紹介するのは横浜高校の
松坂大輔です。
私はそれまで、「甲子園に魔物がいる。」と
いうことは聞いたことはありました。
でも怪物がいるとは聞いていませんでした。
そんな平成の怪物松坂大輔を紹介します。
松坂の名前「大輔」は早稲田実業高校の
エースとして活躍し、アイドル並の人気
だった荒木大輔の名前からとっている
ことは有名ですね。
ここでは世代が違えど甲子園が二人を
つないでいることになりますね。
松坂は出身地の東京都江東区のお隣りに
ある江戸川区のリトルリーグチーム
江戸川南リーグで本格的に野球をしました。
(現在オリックスで活躍する小谷野栄一がチームメイト)
その後、名門横浜高校に入学します。
横浜高校時代はとにかく練習嫌いでしたが、
2年生の夏の神奈川大会準決勝で自身の
暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して
猛練習をしました。
そしてその甲斐もあってか、3年生時には
150kmを超すストレートをコンスタントに出し、
また高校生離れした切れ味鋭いスライダーを
武器に超高校級の投手として平成の怪物と
して注目を浴ました。
そして伝説となる大会が遂にやってきます。
3年生最後の夏の甲子園です。
準々決勝では上重聡(現日本テレビアナウンサー)、
平石洋介(現楽天監督代行)率いるPL学園高校相手に
延長17回という長丁場の試合に、なんと250球を投げ
完投勝利をおさめています。
これだけでも球史の残る伝説となりますが、
松坂はこれだけでは終わりません。
翌日の準決勝でも途中リリーフをして1イニングに登板し、
逆転劇を呼び込むました。前日に250球投げている
選手が翌日に登板するなんて怪物以外ではありえません。
怪物だからこそできたのでしょう。
そして最後の伝説です。
続く決勝戦の京都成章戦です。なんと史上初の
決勝戦でのノーヒットノーランを達成したのです。
圧巻のピッチングでした。
それはそれまでの戦いで何百球と投げ込んで
いる投手には見えません。
ストレートの伸び、さらには高速スライダーが
ありえない曲がり方で相手を翻弄します。
しかもそれは不思議と回を増すごとに。
甲子園にいた魔物は、プロ野球に行って
からも魔物でした。
その年のドラフト会議で西武ライオンズに入団し、
1年目からフル稼働。新人で16勝、
しかも最多勝のタイトルも獲得しました。
日本では108勝(現在の中日での勝利数は含まない。)の
成績をひっさげ、全盛期にメジャーリ-グの
ボストン・レッドソックスに移籍します。
メジャー通算56勝の活躍をし、現在は
中日で活躍しています。
松坂にも勝るとも劣らない怪物はいつか
甲子園にあらわれてくれるのでしょうか。
期待しながらこの夏の大会も楽しみたいですね。
第1位 桑田真澄・清原和博(KKコンビ)
そして最後にご紹介するレジェンドは、
甲子園のレジェンドを語る上でこの二人を
話さないわけにはいきません。
PL学園で活躍した桑田真澄と清原和博。
通称KKコンビです。
PL学園で甲子園に1年夏から3年夏まで
5季連続で出場し、桑田は1年からエース、
そして清原は4番打者として活躍しました。
その輝かしい戦績を先にご紹介します。
1年夏:優勝
2年春:準優勝
2年夏:準優勝
3年春:ベスト4
3年夏:優勝
とんでもない戦績ですね。
しかも1年生から主軸として活躍している
わけですからすごいです。
では、二人の甲子園での通算成績はどうだったのでしょうか。
桑田真澄
25登板 20勝3敗 投球回数197 2/3 自責点34 防御率1.55
26試合 104打数37安打 打率.356 本塁打6
甲子園勝利回数は歴代2位です。
投手だけでなく打者としても他のチームでは
4番を任せられるほどの成績ですね。
改めて見ると1年生でこれは凄い!!
清原和博
26試合 91打数40安打 打率.440 本塁打13
2登板 投球回数4.1 自責点00 防御率0.00
この歴代1位の通算13本塁打は当分は
破られることはないでしょう。
(今回が記念大会の100回大会ですが、
現行ルールでは次の節目の200回大会まで
現れるか分からない位の大記録です。)
※一大会で決勝まで進んだとして5試合。
仮に3年間で5度春夏に出場して毎年決勝
まで行って25試合です。
その頻度で甲子園に出場して毎年決勝まで
進出するのは漫画の世界しかありえません。
ここぞという時に打つ勝負強い清原。
実況での「甲子園は清原の為にあるのか!?」は
当時話題になりましたね。
このKKコンビがいたからこそ、今の甲子園
人気があると言っても過言でないと思います。
それだけの活躍を残してきました。
甲子園には多くの伝説がありますが、
二人ほどのエピソード、成績を残した
コンビはいなかったことでしょう。
番外 江川卓(作新学院⇒巨人)
ちょっと年代が古いので番外として紹介するのが
作新学院の怪物江川卓です。
当時の高校生レベルを飛び抜けた150キロ台の
伸びのあるストレート。
最早ここで詳しく語るまでもありませんが、
甲子園ではわずか4勝しかあげていない江川が
怪物といわれたのは、その圧倒的な投球内容。
上記のレジェンドたちはチームも強く、
総じて上位進出しましたが、江川の場合は
チームがそこまで強くなかったんですよね。
作新学院在学中の公式戦登板が44試合。
そのうち完投した30試合中の3割に当たる
9試合がノーヒット。それ以外の試合も殆どが
1安打か2安打しか許していません。
甲子園での通算成績は、6試合4勝2敗、
投球回数59回1/3、奪三振92(1試合平均15.3)、
自責点3、防御率0.46。
松坂や桑田などとは異質なその圧倒的な「個」
の力は甲子園のレジェンドと呼ぶに
ふさわしいのではないでしょうか?
江川投手と言えばストレートというイメージがありますが、
近年は150km/h後半が当たり前になってきましたが、それらの
現代の投手よりもストレートが早く感じます。
どんな剛球投手が出現しても『…いや、でもやっぱ江川には敵わんよな』
とか思ってしまいます。老害です。老害でいいと思ってます。
テレビ越しとは言え、あのボールをリアルタイムで見られて幸せでした。
上の動画で、上記のようなコメントがあるあたり、
記録よりも記憶に残る投手なのでしょうね。
当時の阪神の最強打者として何度も対戦したバース選手は
「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えています。
現在は解説者として活躍されていますが、確固たる野球理論をお持ちですので
早く現場に復帰して欲しいなと思うのは筆者だけでしょうか?
ちなみに、小学館のビッグコミックスペリオールで連載されている
「江川と西本」は当時を見事に描いていて必見です。
機会がありましたら是非読んでみてください。
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まとめ
いかがでしたでしょうか。
甲子園のレジェンドをご紹介させていただきました。
まだまだレジェンドは多くいますが、
私の主観でランキング形式で書かせてもらいました。
今年の記念すべき100回大会でも
「平成最後の怪物」や「新ゴジラ」などのレジェンドが誕生することを心待ちに観戦してみますね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。