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西武ライオンズ歴代レジェンドランキングトップ5!一位は誰だ?!

みなさんこんばんは、たかパパです。

昨シーズンのパ・リーグチャンピオンである西武の順位がなかなか上がってきません。菊池投手が抜け、投手陣が打ち込まれる試合が多く、ここまで防御率が12球団ワーストと昨シーズンの弱点であった投手陣が足を引っ張っています。それでも貯金生活を送れているのは、12球団トップの得点力があるからにほかなりません。かつて投手王国を誇っていた名門チームだけに往年のファンの中には郷愁に浸ってしまっている方もいるかもしれません。

そんな西武ですが、リーグ優勝22回、日本一13回とパ・リーグでは圧倒的な実績を誇り、数多くの球史に名を残すレジェンドを数多く輩出してきました。そこで今回は、西武ライオンズのレジェンドベスト5を筆者の視点で選出し、その選手の活躍を振り返っていきたいと思います。

異論・反論あるとは思いますが、一筆者の意見として楽しんでいただけたらうれしいです。

それでは早速5位から紹介していきたいと思います。

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5位 東尾修 通算251勝の大エース

引用元:https://news.goo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20180615-11.html

1968年にドラフト1位で西鉄ライオンズに入団。事前に接触がない中での1位指名だったことから一時は入団拒否ともいわれましたが、1位指名という高評価を理由に一転して入団を決意しました。プロ一年目の1969年はわずか8試合の登板にとどまりましたが、その年に八百長事件であるいわゆる「黒い霧事件」があったことから翌年から主力投手としてフル回転することとなりました。その後、引退するまでライオンズ一筋で通算251勝を挙げる活躍を果たしました。特に、黒い霧以降、低迷期を支えた功労者として高く評価されています。唯一優勝をすることがなかった70年代に東尾投手がいなかったら80年代以降の黄金期を迎えることはできなかったでしょう。ライオンズの歴史を語るうえで欠かすことのできないレジェンドであることは疑いの余地はありません。

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4位 清原和博 歴代最高の未完の大器

引用元:https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20160216/bbl1602161140004-n1.htm

高校野球の球史に残るレジェンドである清原選手。6球団競合の末、希望していた巨人、阪神ではなく西武が抽選権を獲得。失意の涙はいまだに語り継がれるほど有名なシーンではないでしょうか。プロ入り後の活躍はもはや伝説となっています。プロ入り1年目で31本塁打、打率3割4厘、78打点と高卒新人歴代最高記録を残しています。西部在籍は86年から96年の11年間ですが、在籍期間中だけで329本塁打、915打点、1353安打とハイアベレージを残しています。また、リーグ優勝と日本一合わせて14回という数字からわかるようにチームへの貢献も大きかったです。西武の黄金期を支えた伝説の4番は永遠に語り継がれることでしょう。

3位 石毛宏典 圧倒的なリーダーシップ

引用元:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2018/09/20/_split_id/

社会人のプリンスホテルから1980年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。ルーキーイヤーの81年には開幕スタメンを勝ち取り、その勢いはとどまることを知らずシーズン終盤まで落合選手と首位打者争いをするほどの大活躍を見せました。その後、95年にダイエーに移籍するまでの14年間、欠かすことのできない選手として活躍しました。タイトルこそ恵まれませんでしたが、毎年安定した成績を残し、西武時代後半は3番や6番を任されるほどでした。また、守備力が高く、ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞10回に輝くほどの圧倒的な実績を残しています。80年代から90年代にかけての黄金期を支えたレジェンドであり、リーグ優勝と日本一を19回も経験するなど、その功績ははかり知ることができません。清原選手や秋山選手など主軸の陰に隠れがちですが、中軸があれほどの成績を残すことができたのは、石毛選手のようなバイプレーヤーがいたからにほかなりません。優勝回数とその成績からもまさしく西武のレジェンドとして語るべき人物であることに異論はないのではないでしょうか。

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2位 稲尾和久 神様、仏様、稲尾様

引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/cubsss5/50447135.html

1956年に大分県立別府緑丘高校から西鉄ライオンズに入団。球史に残る圧倒的な成績のイメージから入団当初から活躍が期待されていたと思われますが、実際は注目されておらずバッティング投手という位置づけでした。しかし、ルーキーイヤーから敗戦処理で登板を重ねると、その後、主力投手の故障が相次ぎ、結果として21勝、防御率1.06をマークする大活躍を見せました。翌年、当時のプロ野球記録となるシーズン20連勝を記録し、シーズン35勝を挙げる活躍。さらにその翌年も33勝を挙げ、史上初で2年連続リーグMVPに輝きました。特に、語り継がれているのが58年の日本シリーズ。シリーズで5試合に先発し、4完投で日本一に導くと「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれ、後世に語り継がれる伝説のフレーズとなっています。また、61年には78試合に登板し、プロ野球記録となる42勝を挙げています。もっとも、60試合以上の登板数が6シーズンもあったことからわかる通り、登板過多による肩の故障で64年を境に思うような成績を残すことができなくなりました。もっとも、通算756試合に登板し、276勝、179完投、防御率1.98はまさにレジェンドというべき成績と言えるでしょう。また、西武ライオンズの球史で唯一の永久欠番となっているのが稲尾投手のつけていた24です。引退後しばらくは本人が固辞していたため、秋山選手などがつけていましたが、稲尾投手の死後である2012年に生誕75周年を記念して永久欠番となりました。死後も語り継がれるほどの稲尾投手は西武だけではなくプロ野球球史においても欠かすことのできないレジェンドであり、永久に語り継いでいきたい人物と言えるのではないでしょうか。

1位 伊東勤 最強軍団の司令塔

引用元:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20180910-37

栄えある第1位は西武一筋22年の伊東勤選手です。1982年に西武ライオンズに所沢高校から入団。ルーキーイヤーの82年に33試合に出場するなど、手塩にかけ育てられ、3年目から正捕手の座を射止めます。その後、引退するまでの20年近く正捕手に君臨し、西武の80年代から90年代の黄金期を支えました。特筆すべきは、その優勝回数です。22年間で14度のリーグ優勝、8度の日本一と22回の優勝を経験。また、日本シリーズではセ・リーグの全球団と対戦した経験を持つ珍しい記録を持っています。

個人成績を見てみると、2379試合に出場し、1738安打、156本塁打、811打点、打率2割4分7厘と突出した成績を残したわけではありませんが、捕手として歴代3位となる2244試合に出場したそのリード面の貢献ははかり知ることができません。工藤投手や渡辺投手など数多くの名投手にしたのは伊東選手の貢献も大きいと思います。また、西武が黄金期を築くことができたのも、投手陣の安定とその安定を支えた伊東選手のリードがあったといえるでしょう。名チームに名捕手ありいわれるだけに、その貢献度は優勝回数を見れば一目瞭然。西武の歴史において数多くのレジェンドがいますが、その中でもひときわ輝く存在と言っても過言ではないでしょうか。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

レジェンドが多い歴代の西武の選手から5人だけを選ぶのはなかなか難しかったです。惜しくも選出外となった選手では、秋山選手がいます。西部在籍13年で1210試合に出場、1224安打、858打点、328本塁打と輝かしいい実績を残しています。また、在籍13年間でリーグ優勝・日本一が14回と間違いなく80年代から90年代にかけての西武の黄金期を支えたレジェンドと言えます。93年オフにダイエーにトレードとならず、生涯を通じて西武で過ごしていれば間違いなくトップ3に入っていたことでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。