みなさんこんばんは、たかパパです。
幾度となく立ちはだかった大きな壁である
王貞治さんのシーズン本塁打記録55本。
2013年にバレンティン選手が60本塁打を
記録するまで実に49年も破られることの
なかった記録でした。
もっとも、この55本塁打に並んだ選手が
2人いたことを多くの人は覚えていると
思います。
そう、タフィーローズ選手とアレックスカブレラ選手。
それぞれ2001年、2002年に記録し、大きな話題になりました。
では、2001年と2002年のパ・リーグの優勝チームを覚えているでしょうか。
正解は、2001年近鉄、2002年西武。
ローズ選手、カブレラ選手が55本塁打記録した当時在籍していたチームが優勝しています。
このように優れた外国人をうまく探し出せればチームを一気に優勝争いをするまでの
レベルに引き上げ、問題児を連れてきてしまうとチームをカオスにしてしまう面も
ある助っ人外国人。
そんな助っ人外国人に焦点を当てランキング形式で紹介する今回は、
西武を紹介していきたいと思います。
第5位 ミンチェ(許銘傑)
11年間西武に在籍。
あまり活躍した印象がないかもしれませんが、
前半は先発として、後半は主にリリーフとして
西武投手陣を支えていたことは間違いありません。
登板数 | 勝利数 | 防御率 | 投球回数 | |
2000 | 28 | 6 | 4.57 | 126 |
2001 | 27 | 11 | 3.47 | 140 |
2002 | 20 | 9 | 3.65 | 118.1 |
2003 | 19 | 4 | 5.14 | 70 |
2004 | 27 | 4 | 4.36 | 64 |
2005 | 4 | 0 | 6.35 | 5.2 |
2006 | 19 | 1 | 5.48 | 42.2 |
2007 | 15 | 0 | 4.88 | 24 |
2008 | 17 | 1 | 5.12 | 31.2 |
2009 | 16 | 1 | 3.79 | 40.1 |
2010 | 22 | 6 | 4.55 | 120.2 |
2011 | 49 | 6 | 1.98 | 68.1 |
もっとも、活躍できたのは2000年からの
3シーズンと、2010年、2011年の実質5シーズン。
中でも輝いていたのが2011年です。
チーム2位となる49試合に登板し、安定したピッチングで中継ぎを支え、
一時は最下位であったチームを3位まで押し上げました。
そのほかのシーズンは、成績上はぱっとしませんが、2000年から2002年は
ローテーションピッチャーとして先発投手陣を支え、2010年は主力投手陣の
相次ぐ故障による穴を埋める活躍をしました。
惜しむらくはコントロールが悪かったこと。
もう少しコントロールが良ければ先発として活躍でき、チームの優勝にも
貢献できていたかもしれません。
第4位 ドミンゴ・マルティネス
個人的には巨人時代のイメージが強いですが、
巨人の前の2年間は西武に在籍していました。
2年間の成績はこちら
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1997 | 0.305 | 149 | 31 | 108 |
1998 | 0.283 | 139 | 30 | 95 |
日本で過ごした5年間で一番好成績だったのが
来日1年目の97年。
巨人に移籍した清原選手の穴を埋めるべく
補強したのがマルティネス選手でした。
結果として、前年度の清原を上回る成績を
残しただけではなく、2年連続のリーグ優勝
にも導きました。
98年に西武を退団したのは守備と走塁の
レベルが低かったからです。
しかし、30本塁打、100打点を挙げる選手は
かなり貴重。事実、99年は4ゲーム差で
優勝を逃しており、その一因には長打力の
不足がありました。
歴史に「たられば」はないですが、仮に
カブレラ選手が入団する2001年まで
マルティネス選手が在籍していれば、
もう少し西武の黄金期は長く続いたかもしれません。
第3位 オレステス・デストラーデ
リーグ優勝3回、日本一3回をもたらした事
から多くのファンからプロ野球史上最高の
助っ人の一人と評されるデストラーデ選手。
スイッチヒッターとしてプロ野球史上初の
ホームラン王に輝いたことで記憶している
方も多いのではないでしょうか。
優勝回数もさることながら獲得したタイトル
もホームラン王3回、打点王2回、B9が3回と
輝かしいものがあります。
各シーズンの成績はこのようになっています。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1989 | .257 | 75 | 32 | 81 |
1990 | .263 | 125 | 42 | 106 |
1991 | .268 | 117 | 39 | 92 |
1992 | .266 | 119 | 41 | 87 |
1995 | .245 | 40 | 6 | 23 |
89年はシーズン途中加入ということも
あり83試合の出場にとどまりましたが、
32本塁打、81打点を記録するなど大物の
片りんを見せました。
西武はこの年リーグ優勝を逃しましたが、
デストラーデ選手がシーズン当初から
いればもしかすると優勝できていたかもしれません。
89年も優勝していれば史上初の10連覇と
なっていただけに惜しかったですね。
90年からの3シーズンは40本塁打前後の
ホームランを放ち、100打点近くを稼ぎ出す
暴れっぷり。
秋山選手、清原選手、デストラーデ選手の
AKD砲は史上最強ともいわれるほどの破壊力がありました。
これほどの勝利をチームにもたらした助っ人
がなぜ4位かというと在籍が実質4年間であり、
西武の黄金期だったためです。
もっとも、その活躍が色あせることはありません。
第2位 郭泰源
在籍はなんと13年。
10度のリーグ優勝、6度の日本一に導いた
郭泰源は記憶に残っている方が多いのでは
ないでしょうか。
最大の特徴といえば「オリエンタル・エクスプレス」と
呼ばれた最速158キロの速球。
剛速球投手にありがちなノーコンではなく、
西武黄金期の中でも1・2を争うほどの
制球力がありました。
事実、13年間の通算成績で1試合当たり
平均2.4個程度の与四球数であり、かなり優れた
部類であったことがわかります。
13年間の主な成績はこちら
登板数 | 勝利数 | 防御率 | 投球回数 | |
1985 | 15 | 9 | 2.52 | 117.2 |
1986 | 39 | 5 | 2.91 | 108.1 |
1987 | 22 | 13 | 3.02 | 158 |
1988 | 19 | 13 | 2.41 | 149.1 |
1989 | 26 | 10 | 3.27 | 198.1 |
1990 | 18 | 9 | 3.54 | 119.1 |
1991 | 24 | 15 | 2.59 | 184.1 |
1992 | 23 | 14 | 2.41 | 168 |
1993 | 22 | 8 | 3.51 | 133.1 |
1994 | 27 | 13 | 4.98 | 130 |
1995 | 22 | 8 | 2.54 | 163 |
1996 | 14 | 0 | 7.39 | 52.1 |
1997 | 1 | 0 | 0 | 0.1 |
13年間でのキャリアハイは1991年。
この年は自己最多の15勝を挙げチームを
日本一に導く活躍が認められ、MVP、
ベストナイン、ゴールデングラブを受賞
しています。
また、この年にはパ・リーグ2位となる
9試合連続完投記録も作っており、肩や
ひじの故障からの完全復活を印象付けました。
惜しむらくは、ケガにたびたび悩まされたこと。
肩やひじの故障が非常に多く離脱が多くありました。
優勝に大きく貢献したことは間違いないですが、
ケガが少なければもっと活躍できたと思われる
だけにもったいなかったと感じます。
第1位 アレックス・カブレラ
1位はやはりカブレラ選手。
在籍7年間で2度のリーグ優勝に導きました。
2位までの助っ人と比べると優勝回数が
少ないですが、西武が黄金期終了後も
上位に食い込み続けられたのはカブレラ
選手がいたことが大きいです。
特に西武を優勝に導いた2002年は55本の
本塁打をマークし、多くのプロ野球ファン
の記憶に焼き付けました。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
2001 | .282 | 145 | 49 | 124 |
2002 | .336 | 150 | 55 | 115 |
2003 | .324 | 148 | 50 | 112 |
2004 | .280 | 70 | 25 | 62 |
2005 | .300 | 133 | 36 | 92 |
2006 | .315 | 147 | 31 | 100 |
2007 | .295 | 130 | 27 | 81 |
本塁打王は2002年、打点王は2006年に輝いています。
2001年と2003年に本塁打王、打点王に
輝けなかったのは近鉄ローズ選手がいたため。
50本塁打をマークしたにもかかわらず
タイトルを獲得できなかったのはカブレラ
選手だけです。
タイトルには恵まれませんでしたが、
7年間で273本塁打、686打点は驚異的。
プロ野球史上最高の助っ人の一人と
いっても過言ではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
80年代以降の助っ人からベスト5を選びましたが、世代によって大きく意見が異なり、
なかなか一致することのない話題かもしれません。
今回は成績と在籍年数、勝利への貢献度などからランキングを行いました。
懐かしの助っ人の話題でひと盛り上がりできるネタとなればうれしい限りです。
最後までお読みいただきありがとうございました。