みなさんこんにちは、たかパパです。
今回は横浜DeNAベイスターズの歴代最強助っ人を紹介して
いきたいと思います。
横浜といえば、98年優勝時のマシンガン打線、大魔神という
イメージが強いですが、外国人選手に対する目利きがよく質の高い
助っ人を数多く獲得しています。
なかなか優勝から遠ざかっていることもあり、パっと思いつく
助っ人選手は少ないかもしれませんが、これを機に思い出して
もらえたらうれしいです。
5位 マーク・クルーン
2005年から3年間在籍したクルーン投手。
来日1年目で161キロのプロ野球最速記録をマークしたことで
記憶しているファンも多いと思います。
もっとも、5位にランクインしたのはこの記録だけではなく、
横浜を4年ぶりのAクラスに導いたことにあります。
2005年当時、大魔神こと佐々木投手が抑えを務めていましたが、
不調で2軍落ちしたこともありクルーン投手が抑えを務めるように
なりました。シーズン途中から抑えを務めたこともあり、
セーブ数は26と多くはなかったですが、安定したピッチングで
チームの勝利に大きく貢献しました。
登板数 | 投球回数 | 防御率 | セーブ | |
2005 | 55 | 53.1 | 2.7 | 26 |
2006 | 47 | 48 | 3 | 27 |
2007 | 43 | 32.1 | 2.76 | 31 |
横浜は2002年から3年連続で最下位に沈んでおり、その原因の一つに
抑えの不在がありました。その懸案だった抑えの問題を解決したのが
クルーズ選手です。結果として2005年の1回だけのAクラスでしたが、
クルーン投手退団後の低迷を考えるとその存在感は大きいものが
あったと思います。
90年代の横浜の守護神、佐々木投手、2000年代のクルーズ投手、
そして今の山崎康晃投手。抑えの安定感がチームの上位進出のキーに
なっていることを改めて感じるところではないでしょうか。
4位 カルロス・ポンセ
86年から5シーズン在籍したポンセ選手。
在籍中のAクラスは1回だけで、しかも3位になった90年は1軍出場が
ほぼなかったことを考えるとチームへの貢献度はほかの選手と
比較すると劣るかもしれません。
しかし、本塁打王1回、打点王2回、ベストナイン2回は横浜の
歴代助っ人の中でも輝きを放っています。
5年間でベストシーズンといえるのは87年。
この年、チームは5位と低迷しましたが、ポンセ選手自身は本塁打王と
打点王の2冠に輝いています。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1986 | .322 | 151 | 27 | 105 |
1987 | .323 | 159 | 35 | 98 |
1988 | .292 | 145 | 33 | 102 |
1989 | .264 | 135 | 24 | 81 |
1990 | .193 | 11 | 0 | 3 |
89年は不振に陥り成績が低迷。
翌シーズンも振るわず、シーズンの大半を2軍で暮らし、
90年限りで退団となっています。
しかし、86年から3年間、毎年100打点前後をあげるなどチームへの
貢献度は大きく、その活躍がなければより低迷していたとも考えられます。
チームを上位に押し上げることができませんでしたが、チームを支えた
ことは間違いないのではないでしょうか。
3位 タイロン・ウッズ
2003年から2年間の在籍でしたが、2年連続の本塁打王に輝いた
タイロン・ウッズ選手。残念ながら、チームの戦力が落ちていたこともあり、
チームを上位に導くことはできませんでしたが、個人記録は歴代の助っ人の
中でもトップクラスです。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
2003 | .273 | 131 | 40 | 87 |
2004 | .298 | 142 | 45 | 103 |
チームが低迷する中でモチベーションを保つのが難しかったと思いますが、
その中でこれだけの成績を残したのは立派といえるでしょう。
チャンスに弱く、打点が少ないと指摘されることもありましたが、
ウッズ選手にマークが集中したことを考えると致し方なかったとも思います。
わずか2年間の在籍でしたが、通算85本塁打、190打点は誇るべき成績と
いえるでしょう。
その後の村田選手、筒香選手と横浜のホームランバッターの系譜に続く
最初の選手として今後も記憶されていくのではないでしょうか。
2位 ホセ・ロペス
2位はホセ・ロペス選手。
理由は、2年連続でAクラスに導いたことです。実に10年間もAクラスから遠ざかり、
しかもその間実に7回も最下位を経験するなど苦しい時代を過ごしてきた横浜。
そんな横浜を2016年、2017年の2年連続で3位に導くとともに、昨シーズンは
19年ぶりの日本シリーズ進出にも大きく貢献しました。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
2015 | .291 | 150 | 25 | 73 |
2016 | .263 | 127 | 34 | 95 |
2017 | .301 | 171 | 30 | 105 |
やはり昨年はこれまでのベストシーズンといえるでしょう。
自身初の打点王と最多安打王に輝くと、ベストナイン、
ゴールデングラブも獲得し、個人とチームともに充実した
シーズンとなりました。
もっとも、歴代最高の助っ人にはまだ優勝という実績が足りませんが、
将来が明るい横浜にあっては優勝も時間の問題かもしれません。
チームのタイトルをもたらすことができれば、歴代最高助っ人の一人
として永遠に語り継がれることになるでしょう。
今シーズンの活躍に期待しましょう。
1位 ロバート・ローズ
やはり1位はリーグ優勝・日本一、4度のAクラスに導いた4番、
ロバート・ローズ選手です。
93年の入団以来8シーズンにわたり在籍。ベストナイン6回、
ゴールデングラブ1回、首位打者1回、打点王2回、最多安打2回など
輝かしい成績を残しています。
8年間にわたり安定した成績を残しましたがキャリアハイともいうべき
シーズンは99年。この年は、歴代史上2位となる153打点を挙げ打点王、
192安打で最多安打に輝きました。
また自身初となる30本塁打も達成し、打率、安打、本塁打、打点の
すべてで自身最高の成績を残しています。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1993 | .325 | 158 | 19 | 94 |
1994 | .296 | 151 | 15 | 86 |
1995 | .315 | 155 | 22 | 97 |
1996 | .304 | 147 | 16 | 86 |
1997 | .328 | 152 | 18 | 99 |
1998 | .325 | 152 | 19 | 96 |
1999 | .369 | 192 | 37 | 153 |
2000 | .332 | 168 | 21 | 97 |
99年に記録した打率.369は右打者としての当時最高の成績
(のちに内川選手が.378で更新)。
翌2000年も3割をマークし、6年連続3割という偉業を成し遂げています。
惜しむらくは2000年限りで退団となってしまったこと。
金銭面で折り合いがつかなかったことが原因といわれていますが、
もし残っていればラミレス選手より先に史上初の外国人選手の2000本安打が
見られたかもしれません。
年齢的にも老け込む年ではなかっただけに残念でした。
もっとも、チームへの貢献度、そして個人の成績ともにダントツで
横浜史上最強の助っ人外国人であることに異論はないでしょう。
横浜が輝いていた時代の最強助っ人として今後も語り継がれていくことでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
80年以降の助っ人を中心に選考しましたが、チームのAクラス入りが1980年から
2017年までの38年間で10回、優勝は1回だけとチームへの貢献度という観点から
評価するのはなかなか難しかったです。
しかし、個人記録を見てみると、他球団の助っ人と遜色ない成績を残していました。
チームが低迷する中でもしっかりと働き若手の見本となってくれたことで、
若手の成長につながったともいえるのではないでしょうか。
もっとも、現在の横浜は伸び盛り。今後、Aクラスの常連になり、
優勝回数を重ねていくと予想されます。
そうなれば、今回の歴代助っ人を超える最強助っ人も必然的に表れることでしょう。
10年後、このランキングがどのように変化するか楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。