みなさんこんばんは、たかパパです。
今回はヤクルトの歴代トップ5の助っ人外国人を
紹介していきたいと思います。
ヤクルトといえば90年代の黄金期のイメージが強く、そのころの助っ人は多くの
ファンの記憶に残っているかと思います。
しかし、実際の成績や在籍期間を見てみると、1年だけの活躍だったり、
思ったほどいい成績ではなかったりといい記憶に比例しないことがあります。
優勝という印象的なイメージが個人成績についてもいいイメージを与えて
いるのかもしれませんね。
ということで、今回も優勝への貢献度だけではなく、在籍期間や通算成績などから
歴代最強助っ人を紹介していきます!
それではいってみましょう!
5位 ジャック・ハウエル
92年から3年間在籍し、2度のリーグ優勝(92年、93年)と1度の日本一に
導いたジャック・ハウエル選手。
入団当初は適応に苦しみましたが、後半戦に大爆発。結果的に首位打者と
本塁打王の2冠に輝くとともに、MVPを獲得するなどキャリアハイの成績を
残しました。来日1年目で首位打者と本塁打王に輝いたのは史上初の快挙
でもありました。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1992 | .331 | 128 | 38 | 87 |
1993 | .295 | 117 | 28 | 88 |
1994 | .251 | 91 | 20 | 56 |
2年目は打率と本塁打数ともに低下した一方で、勝負強さに磨きがかかり
1年目を上回る88打点を挙げ2年連続のリーグ優勝、15年ぶりの日本一に導いています。
3年目は極度の不振に苦しみ、ハウエル選手の成績低迷に比例するように
チームも4位に沈みました。結果として、このシーズン限りで解雇となりました。
実質活躍したのは2年間だけでしたが、チームを14年ぶりのリーグ優勝に導いた
貢献度は計り知れません。
ハウエル選手の活躍がなければ2位の巨人と阪神(同率で2位)とのゲーム差が
2であったことから優勝できていなかったかもしれません。
また、この優勝を経験できたことで、その後の黄金期を迎えることが
できたともいえ、その意味においてもハウエル選手の貢献度は大きかったと
いえるでしょう。
4位 トーマス・オマリー
4位はわずか2年(95年~96年)の在籍でしたが、2年ぶりのリーグ優勝・日本一に
導いたオマリー選手。
91年から4年間在籍した阪神のイメージが強い方も多いかもしれませんが、
95年のヤクルトでの活躍が印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
というのも95年はタイトルこそ獲得しませんでしたが、MVP、日本シリーズMVP、
そしてオールスターMVPとMVPで「3冠」獲得した通りそのインパクトは
大きいものがありました。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1995 | .302 | 127 | 31 | 87 |
1996 | .315 | 145 | 18 | 97 |
阪神時代の4年間を含め6年連続で3割を記録。
選球眼がよく、三振が少なかったことが好打率につながったといえます。
阪神を退団した理由の一つに本塁打の少なさがありましたが、95年は
キャリアハイとなる31本を記録し、長打力もあることを成績で証明しました。
惜しむらくは、96年限りで退団となってしまったこと。
成績面が理由ではなく、契約面で折り合わなかったことが原因でした。
年齢的な問題(当時36歳)もありましたが、成績を見る限りもう1,2年は
できたように思えてなりません。
3位 ロベルト・ペタジーニ
2001年のリーグ優勝・日本一に貢献したペタジーニ選手が3位。
ファンによっては25歳年の離れた奥さんがいた選手として記憶している方も
多いかもしれません。
余談ですが、現在は離婚し、18歳下の女性と再婚しているようです。
1999年に加入し、4年間にわたり巨人の松井選手と熾烈な本塁打王争いを
繰り広げました。
4年間で最高のシーズンはやはり優勝した2001年でしょうか。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
1999 | .325 | 147 | 44 | 112 |
2000 | .316 | 153 | 36 | 96 |
2001 | .322 | 149 | 39 | 127 |
2002 | .322 | 146 | 41 | 94 |
この年は、本塁打王と打点王の2冠に輝くとともに、MVP、ベストナイン、
ゴールデングラブなどにも輝きました。
在籍した4年間を振り返ると40本塁打前後、100打点前後を記録下だけではなく、
4シーズンすべてで3割を超える打率を残しています。
ホームランバッターにありがちな確実性の欠けるバッターではなく、
チームバッティングもできる好選手でありました。
2002年限りで退団となりましたが、原因はひざの状態が芳しくなかったこと。
もっとも、その後の2年間を見る限り成績はさほど低下していないことを考えると、
起用方法次第ではもう少し長く活躍できたかもしれません。
ペタジーニ選手に限らず、契約延長の判断はいつの時代も難しいですね。
2位 ウラディミール・バレンティン
2位は現在も現役のバレンティン選手。
2位にランクインしたのは、プロ野球のシーズン最多本塁打記録をマークした
ことにあります。
2013年にシーズン最速(122試合目)で55本塁打をマークしたこともあり、
どの球団の投手も勝負をせざるを得なくなり、結果として60本塁打を
記録することができました。
出場試合数130試合で60本で、ほぼ2試合に1本ペースでホームランを
放っておりまさに驚異的。
長打率も史上最高の0.779であったことからもそのすごさがわかります。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
2011 | .228 | 111 | 31 | 76 |
2012 | .272 | 96 | 31 | 81 |
2013 | .330 | 145 | 60 | 131 |
2014 | .301 | 110 | 31 | 69 |
2015 | .186 | 8 | 1 | 6 |
2016 | .269 | 123 | 31 | 96 |
2017 | .254 | 113 | 32 | 80 |
在籍7年間でリーグ優勝は1回。
しかもリーグ優勝を達成した2015年はケガなどもありほぼ活躍できなかった
ことを考えるとチームへの貢献度はほかの助っ人と比べると落ちるといえます。
しかし、チームが低迷する中で毎年30本塁打以上を放つなどチームを支えて
いるのも事実です。
また、今後しばらく破られないであろうシーズン最多本塁打記録を持っている
ことからも史上最強助っ人の一人には間違いありません。
まだ現役選手であることから今後チームの優勝に貢献し、ヤクルト史上最強の
助っ人として文句なしで選ばれることを期待したいと思います。
1位 アレックス・ラミレス
出展元:https://blogs.yahoo.co.jp/green07074649/22594260.html
1位は現・横浜DeNAベイスターズ監督のアレックス・ラミレス選手です。
リーグ優勝・日本一は入団1年目の2001年の一回のみですが、7年間でAクラスが
5回とチームを上位に導いた貢献度、そして何よりも7年間の成績からヤクルト
史上最強の助っ人としました。
打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | |
2001 | .280 | 143 | 29 | 88 |
2002 | .295 | 159 | 24 | 92 |
2003 | .333 | 189 | 40 | 124 |
2004 | .305 | 160 | 31 | 110 |
2005 | .282 | 168 | 32 | 104 |
2006 | .267 | 161 | 26 | 112 |
2007 | .343 | 204 | 29 | 122 |
在籍7年間で、本塁打王1回、打点王2回、最多安打2回、ベストナイン2回に輝いています。
キャリアハイともいえるのが2007年シーズン。
史上初となる右打者で200安打を達成しました。また、特筆すべきは打点の多さ。
7シーズンで実に5シーズンで100打点以上をマークしておりチームへの貢献度は
かなり大きかったといえます。
7年間の通算成績は、1184安打、211本塁打、752打点。ここまで長期間にわたり
安定した成績を残した選手はいなかったこと、のちに外国人選手で史上初の2000本
安打を達成したことを考えると史上最強の助っ人であることは間違いありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
もしかするとあの選手はなぜ入ってないの?と思う方がいるかもしれません。
そう97年のリーグ優勝・日本一に導いたホージー選手です。
確かに97年のチームへの貢献度は大きかったですが、翌98年に活躍できなかった
ことがマイナス要素。最強助っ人というには、優勝への貢献度だけではなく、
複数年にわたり活躍した実績も必要であると考え今回はランク外にしました。
いろいろご意見はあるかと思いますが、話のネタとして読んでいただければ嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。