みなさんこんばんは、たかパパです。
今回はヤクルトスワローズのレジェンド
トップ5を紹介していきたいと思います。
ヤクルトは1950年創設の国鉄スワローズ
を起源に持つ球団。
その後1965年にサンケイグループに運営権
が移り、現経営母体のヤクルトになったのは
1970年となっています。
国鉄、サンケイ時代リーグ優勝は一度もなく、
初優勝は1978年とヤクルトになってから。
90年代まではBクラスが多かったせいか、
なかなかレジェンドとして思い浮かぶ
選手が少ない方も多いかもしれません。
そんな方も今回の記事を通じて改めて
レジェンドを思い出していただき、
野球談議に活用して頂けると嬉しいです。
それでは早速ヤクルトのレジェンド達を
紹介していきたいと思います。
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目次
第5位:プロ野球史上屈指の守備職人!宮本慎也
1994年に社会人からドラフト2位で入団し、
引退する2013年までの19年間をヤクルトで
過ごしました。
通算成績は2162試合出場、打率.282、
2133安打、62本塁打、578打点。
通算犠打数408はプロ野球歴代3位の記録と
なっています。
キャリアハイは2011年でしょうか。
自身4度目となる3割越えの打率.302を
マークしたほか、サードでプロ野球記録と
なる守備率.997を記録しました。
主な獲得タイトルは以下の通りです。
ベストナイン:1回(2011年)
ゴールデングラブ:10回(1997年、1999年~2003年、2009年~2012年)
球界屈指の守備の名手だった宮本氏ですが、
不思議とベストナインに縁がなく、
プロ野球人生でたった1度の獲得に終わって
います。
理由の一つとして全盛期の00年代に優勝に
恵まれなかったこと。
また、同時期に石井琢朗氏や井端氏など
名ショートが多かったことも不運でした。
獲得したタイトルは少ないですが、
その活躍は色あせることはありません。
2001年にマークした67犠打は今なお日本記録。
また2000本安打・400犠打はプロ野球唯一の
大記録です。
2017年には学生野球選手への指導が可能と
なる資格が回復されたことから将来の
野球選手に経験とともにその高い技術を
伝えていき、今後も野球の発展に貢献して
もらいたいですね。
第4位:ヤクルト低迷期を支えたエース!松岡弘
1968年に三菱重工水島からサンケイに入団。
1985年に引退するまでの18年間在籍しています。
通算成績は、660試合登板、191勝190敗で
防御率3.33という成績でした。
キャリアハイは1973年でしょうか。
この年のチームは4位にとどまりましたが、
松岡氏は先発・中継ぎでフル回転。
48試合中25試合に先発し、21勝18敗で
防御率2.23をマークしています。
主な獲得タイトルは以下の通りです。
最優秀防御率:1回(1980年)
沢村賞:1回(1978年)
倉敷商業高校では1学年先輩に星野氏、
同学年には岡山東商業高校の平松氏がおり、
松岡氏と合わせて岡山三ガラスと呼ばれる
ほど高校時代から注目を集める存在でした。
もっとも、プロ入り後は弱小球団だった
ということもあり、なかなか勝ち星には
恵まれませんでした。
そんな中でも黙々と投げ続けチームを支え、
その甲斐もあり、チームは1978年に悲願の
リーグ初優勝を達成しています。
もっともその後チームが低迷期に入って
しまい思うように勝ち星を積み上げられず、
最後はケガもあり191勝に留まりました。
チームの低迷期がなければ間違いなく
200勝を達成していたと思われるだけに
残念でしたが、90年代の黄金期につながる
伝統を築き上げたのは間違いなく松岡氏を
はじめとする選手の頑張りがあったからと
いえるでしょう。
エースとして長年低迷期を支えた松岡氏は
成績だけではなく、チームの礎を築いたと
いう意味においてもレジェンドといえるの
ではないでしょうか。
第3位:ミスタースワローズ!小さな大打者若松勉
1970年にドラフト3位でヤクルトに入団。
1989年に引退するまでの19年間を
ヤクルト一筋で過ごしました。
通算成績は2062試合出場、打率.319、
2173安打、22本塁打、884打点。
キャリアハイは、2度目の首位打者に
輝いた1977年でしょうか。
この年は打率.358、158安打をマークし、
MVPに輝きました。
主な獲得タイトルは以下の通りです。
首位打者:2回(1972年、1977年)
MVP:1回(1978年)
ベストナイン:9回(1972年~1974年、1976年~1980年、1984年)
通算安打数2173はヤクルトの球団記録であり、
通算打率.319はプロ野球歴代2位の記録。
規定打席に到達した15シーズンで12度も
3割以上をマークしており、まさに打撃の天才。
168センチとプロ野球選手にしては小柄な
体格ながら巧みなバッティングで小さな
大打者とも呼ばれています。
監督としても優秀であり、指揮を執った
7年間でAクラス入り4回、優勝1回と
輝かしい成績を残しています。
温厚で礼儀正しい人柄からチームメイトや
選手だけではなく、ファンからも愛される
存在でした。
体格のハンデを技術で乗り越え、プロ野球
歴代屈指の成績を残した若松氏は誰しもが
認めるレジェンドではないでしょうか。
第2位:大卒・社会人卒初の2000本打者!古田敦也
1989年ドラフト2位でヤクルトに入団。
2007年に引退するまでの18年間在籍。
通算成績は2008試合出場、打率.294、
2097安打、217本塁打、1009打点。
キャリアハイは、ヤクルトを2年連続の
リーグ優勝に導いた1993年でしょうか。
この年は全132試合に出場し打率.308で
161安打をマークし、最多安打に輝いて
います。
また、守備面では4年連続で盗塁阻止率
リーグ1位に輝いただけではなく、
阻止率.644というプロ野球記録を
打ち立てています。
主な獲得タイトルは以下の通りです。
首位打者:1回(1991年)
最多安打:1回(1993年)
MVP:2回(1993年、1997年)
ベストナイン:9回(1991年~1993年、1995年、1997年、1999年~2001年、2004年)
守備面での印象が強い古田氏ですが、
通算成績からもわかるように打撃面でも
定評がありました。
プロ2年目には打率.340という成績を残し、
捕手として野村克也氏以来のプロ野球史上
2人目となる首位打者に輝く活躍。
また、通算で8度のシーズン3割は捕手と
しては最多の記録です。
守備では盗塁阻止率リーグ1位を通算10回
マーク。入団から13年連続で4割以上の
阻止率をマークし、通算もプロ野球記録
となる.462という成績を残しています。
ちなみに2017シーズンの阻止率一位は
巨人小林誠司捕手で.380。
この通算阻止率を見て頂ければどれだけ
捕手として傑出していたが分かります。
持ち前の強肩だけではなく高い送球技術が
あったからこそ達成できた偉大な記録と
いえるでしょう。
90年代のヤクルト黄金期を捕手として支え、
通算5度のリーグ優勝に導いた実績は
もちろんのこと、攻守の成績も文句なし。
プロ野球の歴史においてもこれほどまでの
実績を残した捕手は野村克也氏を除いて
いないといえることからもヤクルトだけ
ではなく、プロ野球界のレジェンド中の
レジェンドといえるのではないでしょうか。
第1位:プロ野球史上唯一の400勝投手!金田正一
出展:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=069-20141229-01
やはり1位は前人未到の400勝投手
金田正一氏しかいません。
若い方には巨人の金田氏のイメージが強く
ヤクルト(前身の国鉄)に在籍していた
イメージがないかもしれませんが、実は
巨人に在籍していたのは20年のプロ野球
人生のうちのわずか5年だけ。
1950年の入団から1965年までの15年間を
ヤクルト(国鉄)で過ごしました。
国鉄在籍中15年間の通算成績は、814試合
登板353勝267敗。
キャリアハイは1958年でしょうか。
この年は56試合に登板し31勝を挙げ、
チームの勝利の半数以上(チーム勝利数58勝)
を金田氏一人で稼ぎ出す活躍でした。
主な獲得タイトルは以下の通りです(国鉄在籍中)
最多勝:3回(1957年、1958年、1963年)
最優秀防御率:2回(1957年、1958年)
最多奪三振:10回(1951年~1953年、1955年、1956年、1958年~1960年、1963年、1964年)
沢村賞:3回(1956年~1958年)
ベストナイン:3回(1956年~1958年)
通算成績400勝298敗、365完投、
対戦打者数22078、投球回数5526回2/3、
奪三振4490はプロ野球記録。
また、投手登録で1000試合以上に出場した
選手は金田氏が唯一です。
国鉄時代の353勝中144勝はリリーフでの
勝利ですが、この時代は先発・リリーフで
エースがフル回転させられた時代。
また、国鉄は弱小球団ということもあり
金田氏が投げなければ試合にならなかった
という事情もあり登板数が特に多くなる
傾向がありました。
それでも弱小球団だったためタイトルには
恵まれませんでした。
しかし、弱小球団で通算成績のうち90%
近くを稼ぎ出したのは特筆すべき偉業。
国鉄にいたからこそ多くの試合に登板でき
勝ち星を積み重ねられたともいえますが、
もし巨人や阪神のような常勝軍団に入団当初
から在籍していればもっと楽に勝ち星を
積み重ねられ、ひょっとすると500勝も
達成可能だったかもしれません。
時代背景が異なるとはいえ、これだけの
プロ野球記録を打ち立てたのはずば抜けた
能力があったからこそ。
160キロともいわれる速球と2階から落ちる
くらいの落差があったと言われるカーブは
歴代No.1とも言われています。
記録はもちろんのこと投手としての能力面
でもヤクルトだけではなくプロ野球史上
歴代No.1レジェンドといえるのでは
ないでしょうか?
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まとめ
いかがでしたでしょうか。
トップ5にはランクインしませんでしたが、
ヤクルトやダイエー、巨人の投手コーチと
して実績を残した尾花氏や選手で23年、
コーチで17年の計40年間ヤクルトに在籍した
八重樫幸雄氏など数多くの名選手が在籍
していました。
尾花氏はチームの低迷期に自身の全盛期が
重なってしまったという不運もあり、
14年間の在籍で112勝135敗と負け越しの成績。
もっとも、プロ野球記録である2203イニング
連続押し出し四球なしが物語るように、
投手として突出した技術がありました。
この技術があったからこそ投手コーチとして
高い実績を残すことができたのでしょうね。
数々の名選手を輩出してきたヤクルト。
今後どのような名選手が出てくるのでしょうか。
10年後、20年後このランキングに今活躍している
選手が入ってくるのを楽しみにしたいと思います。
最後までお読み頂き有難うございました。