みなさんこんばんは、たかパパです。
交流戦も終わり気が付けばもう8月。後半戦が始まりいよいよ優勝争いが絞られつつある今日この頃ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
セ・リーグは巨人、パ・リーグはソフトバンク、と前半折り返し時点から首位こそ変わっていませんが、2位以下とさほどゲーム差が離れておらず、まだまだ目が離せない展開が期待できそうです。
さて、そんな夏本番にお届けするのは各球団のレジェンドトップ5、千葉ロッテ編です。
あまり知られていませんが、千葉ロッテは親会社がロッテとなって48年が経ち、パ・リーグ6球団の中で最長の記録となっています。
そんな千葉ロッテですが、歴史のある千葉ロッテのレジェンドをトップ5からご紹介していきたいと思います。
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プロ野球各チーム歴代レジェンドランキング
5位 山内和弘
引用元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/02/06/kiji/K20090206Z00001870.html
1952年にテスト生として毎日オリオンズに入団。ルーキーイヤーは44試合の出場にとどまりましたが、3割3分6厘の入アベレージを残しました。3年目の1954年にはレギュラーに定着し、全試合に出場。3割越えの打率を残すとともに、打点王に輝きました。山内氏は阪神に移籍する63年までの12年間在籍しましたが、その中で特筆すべきシーズンはリーグ優勝を果たした1960年ではないでしょうか。この年は、榎本喜八氏、田宮謙次郎氏らとともにミサイル打線の中心として大活躍。打点王とホームラン王に輝くなど充実したシーズンとなりました。
内外角のボールを左右に打ち分けるバットコントロールは職人的な技術であり、野村克也氏など多くのプロ野球選手に影響を与えました。後世の名だたる名選手に影響を与えた山内氏の功績は永遠に語り継がれることでしょう。
4位 福浦和也
引用元:https://www.2nn.jp/mnewsplus/1535411335/
今なお現役の選手で唯一ランクイン。1993年ドラフト7位で地元習志野高校から千葉ロッテに入団。入団当初は投手でしたが、肩の故障もあり1年目の7月に打者に転向。レギュラーに定着したのは入団4年目の1997年7月から。この年、67試合に出場し2割8分9厘の好成績を残したことが、翌年以降の飛躍につながりました。キャリアハイは2003年。この年、自身初となる全試合出場を果たすと、自己最多となる172安打、21本塁打、76打点をマークし、また打率も3年連続3割越えを記録するなど充実したシーズンとなりました。また、2005年には、3番打者としてチームを引っ張り、31年ぶりのリーグ優勝、日本一に導きました。2008年には2000本安打を記録し、名実ともにロッテのレジェンドとなりました。
2019年限りで引退を表明しているだけに、残り少ない時間となりましたが、幕張の安打製造機の雄姿を目に焼き付けておきたいですね。
3位 村田兆治
マサカリ投法で老若男女問わず一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
村田兆治氏は1967年に福山電波工業高校からドラフト1位で当時の東京オリオンズに入団。プロ22年間ロッテ一筋で過ごしました。入団2年目から1軍に定着すると、3年目にはリーグ優勝を経験。順調にプロとしてのキャリアを歩んでいきました。村田氏の代名詞となったマサカリ投法の原型ができたのは、4年目のシーズン。金田正一監督のアドバイスにより生み出されたものです。これにより、より安定的な成績を残すことができるようになり、1976年に伝家の宝刀フォークを習得するとこの年、257イニングを投げ21勝、防御率1.82、202奪三振とキャリアハイの成績を残しました。
もっとも、その後ひじのケガにより、トミージョン手術を行うなど苦しみましたが、85年に奇跡のカムバックを果たし、1989年には200勝を達成するなどケガからの復帰後も第一線で活躍し続けました。
70歳に近づいた今なお110キロのストレートを投げ込む超人的な能力で今なお野球界を盛り上げている文字通りのレジェンドです。
2位 榎本喜八
引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/hongoyoichi/20160119-00053561/
安打製造機と呼ばれた榎本氏ですが、入団前は期待されていたわけではありませんでした。
王貞治氏に一本足打法を伝授した荒川博氏の売込みにより毎日オリオンズの入団テストを受けられることとなり、入団テストで完成されたバッティングフォームと優れた選球眼が認められ合格に。高卒1年目からレギュラーとして定着し、打率2割9分8厘、67打点をマークする活躍を見せました。その後は、一時期打撃不振に苦しんだシーズンもあったものの1961年にはプロ野球最年少(24歳9カ月)で通算1000本安打、1968年にはプロ野球史上3年目となる通算2000本安打を達成するなど、球界を代表する安打製造機に成長しました。
惜しむらくは、通算打率が3割に満たなかったことでしょうか。天才打者をもってしてもキャリア終盤にはケガに悩まされ思うような結果を残すことができなくなっていました。もっとも、2度のリーグ優勝、2度の首位打者、9度のベストナインという輝かしい実績はレジェンドそのものと言えるでしょう。
1位 有藤通世
引用元:https://www.jiji.com/jc/d4?p=mei200-jlp13851738&d=d4_bb
ロッテ一筋18年のミスターロッテこと有藤氏を1位といたしました。
有藤氏は、1968年に近畿大学からドラフト1位でロッテオリオンズに入団。同世代には田淵幸一氏や山本浩二氏、星野仙一氏などがおり、当初は知名度が高くありませんでした。しかし、入団1年目からレギュラーに定着すると、打率2割8分5厘、21本塁打を記録し、新人王に輝きました。翌年の1970年シーズンは、全試合に出場し、打率3割6厘、25本塁打、80打点をマークしチームのリーグ優勝に貢献しました。また、74年にはチームを日本一に導いています。
個人成績を見ると、29本塁打、31盗塁をマークした71年、もしくは打率3割2分9厘で首位打者に輝いた77年シーズンがキャリアハイといえるシーズンとなるでしょうか。もっとも、晩年を除き極端に悪いシーズンがなく、毎年安定した成績を残していたのは特筆すべきポイントかもしれません。1985年にはパリーグの大卒選手としては史上初となる2000本安打を達成しています。
70年代のロッテを支えたミスターロッテの功績は今後も色あせることはないでしょう。
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まとめ
皆さんいかがでしたでしょうか。
この記事を執筆するにあたりロッテの歴代選手を見直しましたが、球界を代表する選手が多く所属していたと改めて気づかされました。
今回のベスト5においては在籍年数という観点からランクインとはならなかったですが、落合選手や伊良部選手などは誰しもが球界のレジェンドとして名を挙げる選手ではないでしょうか。
ベスト5の選手を輩出しただけではなく、落合選手や伊良部選手といった球界を代表するトップオブトップの選手を輩出した育成力はロッテの誇る伝統と言っても過言ではないでしょう。
伝統の育成力と生え抜きの選手を大切に育てる文化のロッテは今後、今回のトップ5を上回るような実績を残す選手が出てきても不思議ではないです。今後、どのような選手が出てくるのか楽しみにしたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。