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愛甲猛(元ロッテ・中日)妻との馴れ初めや今現在は?娘が可愛い!【プロ野球選手の妻たち】

皆さまこんにちは、たかパパです。

プロ野球選手の多くは華々しい世界を引退したのちは

コーチになったり、解説者になったり、飲食店を経営したり

全く別の道に進んだり、道を踏み外して警察のお世話に

なったりと、人生色々ですよね。

7月17日19時より放送される「プロ野球選手の妻たち」で

甲子園のアイドルと言われてその後大バッシングを受けた

愛甲猛さんと、その妻佐知子さんが取り上げられます。

当記事では愛甲選手の現役時代の成績や年俸について、

バッシングを受けた理由、妻佐知子さんとの馴れ初めや

可愛い娘さんについてもまとめてみました。

↓同日放送の広島赤松選手の妻について↓

赤松真人(広島)ガン完治した?復帰時期は?妻寛子さんと子供も気になる【プロ野球選手の妻たち】
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愛甲猛さん 経歴・年俸について


出展元:https://www.news-postseven.com/archives/20150807_339809.html

名前 愛甲猛(あいこうたけし)
出身地 神奈川県
生年月日 1962年8月15日(54歳)
身長/体重 181cm/87kg(現役時)
経歴
横浜高等学校→ロッテオリオンズ、
千葉ロッテマリーンズ (1981 – 1995)
中日ドラゴンズ (1996 – 2000)

まず愛甲さんと言えば、181cmの当時としては長身と

彫りの深い端正なマスクで甲子園のアイドルでした。

横浜高校といえば現在の高校野球界では知らないものが

居ないほどの名門校ですが、実はその当時はメチャクチャ

荒れていた不良校として有名で、学生時代含めてかなりの

ヤンチャをされていたようです(後述します)

そんななかエースとして出場した1980年夏の甲子園で

当時のアイドル荒木大輔さん擁する早稲田実業に投げ勝って

優勝投手に輝き、その年のドラフトでロッテの1位指名を

受けて入団しました。

プロ入り後ピッチャーとしては伸び悩みましたが、当時の

チームメイトだった落合博満さんの助言もあって4年目に

打者転向すると覚醒!

1989年には3割を打ち、オールスターにも出場し、

選手会長を務めるなど、ロッテの中心選手でした。

また、愛甲さんが所持する1988年~1992年までの

535試合連続フルイニング出場は、未だ破られない

パ・リーグ記録です!

日本記録は、鉄人・金本知憲(現阪神監督)が保持する

1492試合。って規格外すぎますね(^_^;)

1996年に中日ドラゴンズに移籍し、代打の切り札として活躍し、

2000年に引退しています。

キャリアハイは1989年の

130試合、528打数160安打、打率.303、13HR、65打点。

代打の切り札として活躍した1999年の

38試合、31打数12安打、打率.387も立派な数字ですね。

年俸推移は

1981年(19歳) ロッテ 420万円
1982年(20歳) ロッテ 420万円
1983年(21歳) ロッテ 420万円
1984年(22歳) ロッテ 510万円
1985年(23歳) ロッテ 550万円
1986年(24歳) ロッテ 600万円
1987年(25歳) ロッテ 1080万円
1988年(26歳) ロッテ 1300万円
1989年(27歳) ロッテ 2500万円
1990年(28歳) ロッテ 4000万円
1991年(29歳) ロッテ 4300万円
1992年(30歳) ロッテ 5000万円
1993年(31歳) ロッテ 4800万円
1994年(32歳) ロッテ 4700万円
1995年(33歳) ロッテ 6500万円
1996年(34歳) 中日  3000万円
1997年(35歳) 中日  2900万円
1998年(36歳) 中日  3500万円
1999年(37歳) 中日  3800万円
2000年(38歳) 中日  4000万円

2000年に引退後はコーチの道には進まず、

飲食店経営やサラリーマンなど職を転々とし、

タレント時代にはVシネマ俳優として映画出演も。

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愛甲猛さん ドーピングを告白

愛甲さんも高校生時代から様々なヤンチャをしていて、

現役時代も数多くの武勇伝がありますが、やはり世間から

叩かれたのはドーピング剤の告白と、失踪騒動でしょう。

実は愛甲さんは現役末期に、衰えをカバーするため、

ホルモン剤の「アンドロステンジオン」を服用したと、

2001年に週刊現代に告白。

確かその当時ってMLBもステロイド問題で激震していた時ですよね。

薬を使ったトレーニングの効果として、すべての力、体力、持久力、

精力が異常に強くなったそうです。

副作用も勿論大きく

「引退(2000年)の2年前から、激しい動悸が起きるようになった」
「引退から3カ月ほど経ったころ、足が異様にむくんだりして、
病院で『静脈血栓』と診断され、即入院を言い渡された」

などと告白しています。

当時はドーピングに対する禁止規定や批判は少なく、

使用した「アンドロステンジオン」は当時サプリメントとして

アメリカ国内で合法的に販売されていたそうです。

結果的に選手生命を縮めてしまいましたが、野球の為に

やったことなので自身は後悔していないと語られています。

現在は自身の経験を元にドーピングの危険性を訴えられています。

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失踪事件については?

2002年2月12日の新聞に「愛甲 捜索願」と衝撃的な見出しがおどり、

マスコミに一斉に報道されたました。

結果として騒動の前に新聞の取材依頼が来ていたそうですが、

それを面倒臭がって無視したことで連絡がとれずこの騒動へと

発展したそうです。

ワイドショーが連日騒ぎ立てる中、愛甲さんは自宅に

居たそうですよ(^_^;)

騒動後にかなり世間からバッシングを受けたようですが、

それを妻の佐知子さんが守り通したという事ですね。

愛甲猛さんの妻佐知子さんとの馴れ初めや現在は?


出展元:https://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/sponichin_20170717_0090

愛甲選手は妻佐知子さんと20代で結婚しています。

佐知子さんについて詳しい情報はありませんが、

元女子アナだったという情報も。

※ソースはありませんのでデマの可能性もありますが。。。

2人の馴れ初めは、愛甲選手のロッテ時代にJR横須賀線の

車内でした。

酔っぱらいに絡まれ偶然愛甲選手の隣の席に逃げてきた

佐知子さんを助けた際に電話番号を書いた紙を渡したのが

きっかけだそうです。

その後佐知子さんより連絡が来て交際がスタートしたそうです。

愛甲選手がキャリア後半でドーピングの発覚によって

プロ野球界から距離を置かれてからも支え続けて来られた

そうですよ。

娘の麗華さんが可愛い!千葉マリンの売り子?
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